目に見える世界とは
目に見える世界は現代社会の法律、メディアによる刷り込み、生産主義による風潮や慣習によって経済優先が先頭に支配者が創造と僕らがその法律などを選択してきたことによって物理的にいる世界です。
そこで目に見えない世界とは
鏡に映る僕らの体や目に見える物質は目に見えます。それとは対極的にあるものは靈(スピリット)・魂や意識です。早朝に神社の杜に足を運びますと、ご神木が二酸化酸素を酸素に換えてくれてくれたときの緑の香りを感じたり、カラスがいて僕がいても顔なじみで逃げなかったり法律よりも「根源的な無条件な許しや愛」の世界があります。
神社とは「草を刈って綺麗にしなければならない」とか「お賽銭を払う」とか法律的(ルール)を超越した世界です。
有名な大きな神宮と言われるレベルは、どちらかというと参拝者が多いので、このルールや決まり事が多いので現代社会の目に見える世界の象徴となっているかもしれません。僕の行く神社は氏神様として地元の小さな神社です。
そこは僕にとってのパワースポットです。
場所は横浜市瀬谷区宮沢3-21-7【宮沢神明社】僕は車で通っていますので2~3台程度は駐車できます。 僕は現代社会の目に見える世界の法律によるトリックに板挟みされて息苦しく感じた時は足を運び「無条件で受け入れてくれる場所」として目に見えない世界、つまり自分の魂(霊)との対話をするために時間を忘れて早朝の静かな時間帯に10分程度、物質の無い世界に身を置いてみます。
すると造られた「ちっぽけな」現代社会を離脱しますと無限の内面(エネルギー)を感じて蘇ってきます。
法律の奴隷になる選択肢と法律を超越した内面(無限の宇宙)を選択するのか?それすらにも捉われない神社という存在です。
余談ですが神社の参道(産道)鳥居や神殿はレイライン、春分秋分の日の太陽の日の出と日の入りのラインが
採用されています。僕らは、つまり太陽の子(太陽の息子)日子ということです。
最後に先日、友人の誕生会にて同席されていた方のお話しを例えます。彼は僕の二歳年上でした。最初、会話のタイミングも関係なく自分の話をぶち込んできました。あれ?と違和感を覚えたのですが・・・生産主義に支配されている僕は、これでは実社会で採用されないだろうなと感じていたら小さなお寺の職員として勤めているとのことでした。
その違和感によって僕らはどれだけ自分のペースを抑えて息をしているのか?
その方は、僕は自分の話をすることが大好きでと言われておりました。
ある意味、承認欲求の固まりのように印象してきましたが、そこに悪意も無いことを覚えて無条件で彼の話に耳を貸すことができました。多分、実社会ではタイトなスケジュールの中で面談をする選択をしない方でしたが逆に僕の選択肢も偏りのある意識が僕を形成していることも覚えた日でした。
いつか、この時間的制限を超越した世界にて生きてみたいと思えた瞬間でした。
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